自己核を強化し、人との境界線をきっちり分ける
AC(アダルトチルドレン)によく見られますが、自分と他人の境界線があいまいで、他人事なのに自分に取り込み、他人の事件を自分の心に蓄積しては、苦しみます。
人との境界線が無いことが主因だと、自覚してからは、他人の不幸を取り込み苦しまないよう、自衛しています。あくまでも他人事ゆえ、無関係ですし無駄に取り込むと、心がやられます。何も感じないように、俯瞰(ふかん)しながら「他人事だから、関係ない」「私の不幸じゃない」等と、心の中で自分に言い聞かせます。
ぶっちゃけると
1. 他人事なのに異常に共感すると、自分がアクシデントに見舞われた時、がっかりする。
2. 他人は私に不幸があると、激励してくれるとは限らない。
3. 「あれだけ励ましたのに、何で共感してくれないの?!」みたいに見返りを得られず、悲しくなる。
勿論、人の不幸をあざ笑ってはいけませんよ。がっちりと境界線を引くと、他人の不幸も自分に取り込むような「自分を苦しめる状態」にならず、心に余計な毒を増加させずにすみます。
しらーっとして、「他人事、他人事、関係ない、私は大丈夫❤」と心の中で連呼するのです。訓練するにつれて、境界線が太くなり、自己核が確立します。紐解いていくと、自愛に辿り着きますよ。
己核を持つことは、わがままじゃない
私は何も悪くないのに、2~3歳頃からあの女のせいで、心に毒を盛られ、幼稚園児の古い記憶は、一方的な暴言を吐く環境でした。ただの八つ当たりだし、子供相手にストレス解消をせねば生きられない、愚か者なのです。これ以上書くと、毒親悪口サイトになるので、以下省略。
原因を自覚して、治す方法を模索するうちに、人に左右されない自己核を持つことと、わがままは別物だと理解しました。自分がある人とない人の差は何でしょうか。人の意見は参考程度に留め、自分の信念を貫き、選択していくかどうか、だと私は思います。
自分がある人は、責任転嫁せず、自己責任にて物事を解決するのではないでしょうか。あっちふらふら、こっちふらふらしていたら、信頼されませんって(笑)
アイデンディディを再構築する
自信があって、人に惑わされない方を観察すると、姿勢が良いですね。歩く姿も、しゃきっとされており、女性は特にかっこいいかな。色んな人の意見を尊重できるようになると、いい感じです。
心が毒まみれの方は
悪口や不平不満が多く、人と衝突しやすく、批判ばかりしている
振り返ると、心の毒を除去する方法を理解していなかった頃の私は、↑のような人でした。一方でいい友達はおりまして、地元の大親友から指摘されたり、私をよく知る彼氏にも、問題視されていましたね。
当時は、毒親問題に市民権が無く、理由がわからなかったので、↑のようなことばかり言っては、大親友と彼氏にチクりと告げられる有様。