【毒親】距離を置きつつ連絡を取り合うって、親への承認欲求や依存があるかも
毒親から間違った価値観を植え付けられ、遠くへ逃げたのにのらりくらりと連絡を取り合うってどうかしてると思う。
「一年に数回は返事をしないと、突撃するかもしれないので、嫌々相手にしている」「逆切れして何をされるかわからない」「最近は老人になって、小言を言わず大人しい」など、首を傾げる理由で依存している方が散見される。
それって、親への愛情不足を埋めるため、相手をしているのでは?
親から認められたい・愛されたい・褒められたい・共感されたいのように渇望し、世話を焼き必死なのかも。
心の傷は認めず、理由をつけかいがいしくお手伝いする。それに加えて、老人になって面倒をみてもらおうと取りすがる自己中な毒親を振り払えず、愛されていると思い込んでいるようだ。
もちろん、自分が納得のうえ、老婆の世話をすならいいと思う。だが、その背景には、毒親から愛されなかった寂しさを埋めようと無我夢中になっているようで、痛々しい。
毒親ではなくて、厳しいだけかもしれない。なのに、何でもかんでも毒親と一括りにし、吊るし上げる風潮もあるから、難しい問題である。
毒親に甘えても、傷がふえ洗脳される
人様の家庭は、それぞれ特色があり、外からわかる訳がない。例え、親しい親戚やご近所さんですら、所詮他人であり、いくらでも見栄を張れるのだ。
毒親は世間体至上主義の可哀想な人ゆえ、外面は天下一品だから、演技力は抜群なのである。外での姿は、仮の姿だと言い切ってもいい。
あいつらの本性は、暴力・暴言・悪口・嫌味など、家でさらけ出すのだ。上品ぶって取りつくろっても、経済的に親に頼らないと生きられない子にストレスをぶつけ、八つ当たりをする始末。
表面的な友人はいても、本当の友達がおらず、虐待を認めない。認めないから毒親なのだ。
それなのに、年老いた毒親に甘えてまで、いまさら愛情を求めても無意味である。都合が良い搾取子として奴隷のように扱い、老後を安心させたいだけ。
必ず嫌味や暴言・暴力をふるい、不愉快にさせるのが目に見えている。人生を棒にふるい、毒親に時間をささげ介護するって論外だわ。
言いなりになるのも自分がないし、虫がいい。
毒親から認められても、虚栄心を満たす道具になるよ
あなたは戦い抜き立派に生きのび、年老いた毒親は取るに足らない存在なうえ、見捨ててもいいのだ。それだけのことをされており、必要な幼少期にやりたい放題したくせに、よぼよぼになってから猫なで声を出されても遅い!
そして、毒親から感謝されたり認められても、いつか慣れてしまい、「やって当然」「甘えて当然」「育ててあげたんだから当然」「教育費を出したんだから面倒みて当然」「好きな物を買ってあげたんだから、してくれて当然」のように図々しくなる。
日本では勝手に産んだ責任者が養育する義務があり、恩着せがましくされてもウザいのだ。
運良く年寄りハウスに入居しても、昭和軍団はマウント合戦をして、見栄を張りたがるもの。もうマジでうんざり。
住民票をブロックしたくなるほど心に傷をつけられたなら、無視していいし全力で逃げよう。
依存を断ち切り、毒親は「いないもの」にする
だいたい、親に甘えたいから、毒親といいながら近寄りコンタクトを取るはず。矛盾した行動は、親への愛着不足からの渇望であり、依存だと思う。
必要としていた幼少期に安定した愛情をもらえず、気分で嫌味を言い八つ当たりしたくせに、毒子が表彰されたり世間から賞賛されたら手柄のように吹聴するのだ。
毒親の絶望を希望にするため、子の心を傷つける嫌味を言い、教育虐待ってどうよ。
依存心は捨て、毒親は最初から不在とみなし、杖なしで立ってみよう。案外、依存せず一人で立つと眺めが良いうえ、清々しい気分になるわよ。
毒親だと自認してから日が浅いなら、徹底的に恨む
ヤバい人が親だったと自認して、時間がたっていない場合、とことん恨み倒す方がいい。徹底的に恨みムカついた出来事をノートに書き、耐えた心を吐き出すのだ。
経験上、恨み倒してから、次のステップに進めると思う。
「帰省したくないけど、ご飯が食べたいから」「洋服を買ってくれるから」「おこづかいをもらえるから」って、クレクレ星人の毒親と同じじゃん!
もやもやしているなら、先は遠いかな。
恨みぬきつつ暴言を手紙に書きとめ、「○○と言われて傷ついた」のように送りつける。内容を認めず理解できないにせよ、攻撃性が浮き彫りになり正当防衛になる。
怒りを吐き出す作業は、しんどい。悲しみが背景にあり、倒れ込み疲弊する懸念がある。可能であれば、安全基地で怒りのマグマを噴火させ、共感してもらう。
一人でやるには、リスクがともない、危険だと考える。
傾聴力や共感力が高い医師に親身になってもらい、受容されるのが一番いいかも。保険が使用できるのは助かるのだ。
初診60分、再診30分のような神診察クリニックはあるのだ。再診は多くが3分診療ゆえ、当たりをつけてスタンスが合う医師を探そう。
臨床心理士・公認心理士は、保険外が多く高いのがネック。しかも、カウンセラーの人生経験が未熟かつ若者であれば、能書きをたれてもお話にならない。
プロぶって傾聴されても、イライラするし、最悪悪化するのだ。ロクでもない毒親の恨み方は、本当に難しく、人によって効果がある方法は様々だと思う。
自分に合った方法を模索しつつ、心の猛毒を除去したいものだ。やってみないと分からないので、試行錯誤のうえ、効果があるものを取り入れよう。
毒親に愛情を求めても、無駄である
毒親はゆがんだ愛情を与え、安定したやすらぎはもらえず、近づくと傷つくはず。それゆえ、毒親なのである。愛情を渇望する気持ちはわかるが、無駄な行動であり、期待してもダメージが大きい。
不仲なのに離婚できず、経済的にも精神的にも自立せず、共依存し悪口合戦するザマ。いい加減にして欲しい。その時の気分で八つ当たりしたり、子の成功を手柄にするから、勝手なものだ。
防衛本能から認めたくないかもしれないが、毒親に愛情を求めても、絶対に厳しいと考えている。なぜなら、毒親も育ちがヤバいから毒親であり、安定した愛情の与え方がわからないのだ。
だからって、奴らが心に傷をつけた事実は消せないし、許されない。毒親とは縁を切って、自分の道を歩き楽しもう。
毒親介護って呑気な記事は、現実逃避の妄想なうえ、結局折れて奴らを介護するとか信じられない。冗談でしょw
女は毒親を面倒みたら病気になり、男は毒親を○す傾向にあり、ゾッとするわ。男女差から自責と他責に散見され、先が長いこちらが倒れてまで面倒を見なくていい。
共倒れになるから、全力で逃げよう。
毒親から離れたら、取りすがるな
転居や携帯番号を変更したら、心に住みつく毒親を退治するのだ。晴れて解放されたのに、言い訳しながら執着するより、きっぱりと忘れやりたいように生きたい。
親ガチャにハズレ毒親に育てられたら、人や物に依存する傾向があり、不安定な関係になると全力で取りすがるかも。
いい友達、いい恋人、いい配偶者に恵まれたら、距離感を保ちつつ、腹八分でバランスを取るのだ。詰めると相手を苦しませ、自分も破壊に追い込み、お互いがダメになり関係が悪化する。
物理的にも精神的にも逃げたら、過去にこだわるな
未成年は別にして、働いているのに毒親といいながら親に住まわせてもらっているのは、論外。子供部屋おじさん・おばさんとか笑っちゃうわよ。
文句は言いたいが、自立もできないすねかじりは、先ず一人暮らしをしてみよう。それが、最初のスタートだと思う。
毒親から離れたら、自分がやりたいように責任をもって自由に暮らそう。経済が大変と言っても、自分を養うくらいならば、何とかなるのだ。
毒親への恨みに縛られ、自由の楽しさを忘れ、自分を追い詰めるのはもうやめよう。気持ちは痛いほどわかるが、憎みたおしたらいつまでもこだわるのは、もったいない。時間は有限である。
毒親が市民権を得ている昨今は、そこらじゅうに毒家族がおり、理不尽に当たり散らさない親は少数派だと思う。
常に情緒が安定し、マウントを取らず、優しいからすぐにわかる。
誰かを頼りたい時の対処法を用意しよ
可能性を全否定され続け、強がって生きてきたが、誰かを頼りたくなったらどうするか。責任感があり自分でこなすので素直になれず、ギリギリまで頑張ってしまうが、頼る練習をしてみてはいかが。
愛玩子みたいに助けてもらおう。甘ったれて泣きすがるのではない。人に頼った方が楽になり、何でもかんでも無理すると壊れてしまうので、肩の力を抜くのだ。
自己解決能力が高いのは結構だが、時には誰かを頼り不安を適度に吐きつつ、悩みを打ち明ける。相談する人は間違えず、口が堅くて信頼できる人を選び、親身になってもらおう。
ただし、めっちゃ親しい人に限る。親しくない人に不安をぶちまけても、嫌われるのがオチだ。弱みを握られ、あざ笑って吹聴する変な人はどこにでもいるので、注意が必要だ。
普段から交友関係は量より質がいいと思う。顔見知りが100人いるより、嬉しい事や心配事を相談できる親友が3人いる方が、ずっといい。困った時、心温まる励ましをくれる人こそ、本当の友達である。
あなたを攻撃したヤバい人=毒親は一生無視しよ
天真爛漫な性格をねじ曲げられ、ゆがんだ心に仕向け、気分で攻撃と称賛を繰り返したのが毒親である。仲が悪いのに離婚もできないから、イライラを子にぶつけて、気晴らしをする愚か者なのだ。
毒親の親(祖父母)も毒親であり、虐待は代々繰り返されるもの。悪循環を断ち切るのは容易ではなく、人格否定をしやがった自覚がないから、毒親である。
仲が良い人達が親だったら、どれだけ生きやすいだろうか。過去は変えられないし、悔やみ憎んでも仕方がない。
こっそり転居して携帯番号を変え、相手にせず完全無視すればいいのだ。愛情不足を埋めたくて、言い訳しながら連絡を取り合うのは、ありえない。
捨てられないなら、共倒れ覚悟で仲良し親子ごっこすればいいのでは。私は絶対に嫌だし、あいつらに邪魔されず好きなように生きるのだ。
瞑想で呼吸を整え、休もう
怒り狂いストレスで余力が不足すると、わめき散らしたくなるものだ。特に、怒りや悲しみを受け止めてもらえなかった毒子は、感情コントロールが苦手かも。
誰かに依存してすがりつきたくなるのは、わからなくもない。しかし、他人に依存しても、心が満たされず、もがき苦しむのだ。
そこで、瞑想の素晴らしさを伝えたい。お金がかからず手軽に始められ、習得してみたら良さを実感する。
息をするだけなのだが、最初は1分でヘトヘトなはず。1分できたら3分、次は5分と徐々に慣らし、20分程度を目標にしてみよう。
自分を励まし心を満たすのは、自分でやるしかない
自分を奮い立たせ、応援してあげたうえ、多幸感を味わうには自分でしか勝たん。人様に見せびらかす幸福は、本当の幸せではなく見栄を張りたいだけなのだ。
子供の頃、親から励まされず褒められず、何をやってもけなされた挙句、子供なのに親のような役割を与えられたら・・・・。親を小ばかにしつつ、共感したり褒めてあげて、完全に役割が逆転してしまう。
毒親はバカなのだ。だから、無意識に子へ共感を求め、悪口を吹き込み、ストレス発散マシンにしやがる。でもね、いつか立場が逆転するので、その日が来たら見捨てるよ。
毒親に執着しても、苦しくなる
何度も言うが、毒親から酷い事を言われた被害者ぶる一方で、毒親と同居したり自活しないのは矛盾している。本気で逃げたいなら、どうにでもなる。
自立して暮らせないのは、親に依存しているだけ。毒親とはいえ、甘えたくて必死に取りすがっているようだ。
安定した愛情を与えるには、毒親も愛情をもらって育ち、良いお手本を知っている必要がある。
気分で八つ当たりをしたり、毒親の絶望を希望にかえるため、口やかましく心を傷つける暴言をまき散らさない。
毒親に執着して、愛情を埋めようとするのはやめたいものだ。幼少期に可愛がられず、姉妹差別をするようなバカ者は、一生ロクでもない人間なのである。
奴らは人間じゃないし、この世からいないものと見なして、もっと楽しいことを考える訓練をしよう。
距離を置いたのに愛情を求めても、満たされない
毒親から逃げたのに、愛情を埋めようと呪いを受け入れ、交流していたら逃げた意味がない。それに加えて、一向に心は満たされず、荒むだけなのでは。
残念ながら、幼少期に姉妹差別されたうえ、搾取子として責任を負い、子供が親のような役割を演じさせられた配役は変わらないのだ。
しかし、配役は辞退して降りていい。毒親の都合で心を潰され、一方的に悪口を吹き込み、介護を懇願ってどの面下げて言うのかな。
愛情を渇望して、言いなりになって尽くしても、報われない。溺愛してきた愛玩子に泣きすがればいいのだ。
脇が甘く自己解決能力が低い愛玩子は、「やってもらって当然」であり簡単に人へ助けを求めるので、親が使えなくなったらどうするのか見物である。
自分の足で立つ訓練をしよ
姉妹差別からの愛着障害で、親がいても恵まれない育ちをされたら、依存体質になりがち。気持ちはわかるが、依存せず自力で立つ訓練をしていき、ほどよい距離感を保とう。
親しくてもべったり粘着されたら、違和感を覚え逃げたくなるもの。近すぎて苦しくなるのだ。逃げられそうになったら、今度はなりふり構わず追いかけ、つめていく。
それじゃ、人間関係が破壊され、負担を感じて逃げられるかも。自分軸を再形成しつつ、人や物に取りすがらず、バランス良く立とう。
訓練あるのみ。
救いの手があるはず
天涯孤独になっても、何とかなる。徳を積み研鑽に励むと、必ず救いの手を差し出してくださる方があらわれる。
感謝して助けてもらおう。
日頃の行いは自分に返ってくるため、良くされたらご恩返しするのだ。体感では、不仲な家族のせいで心に毒を盛られ、純粋な気持ちをぶっ壊され、自分を守るため縁切りしている方は大勢おられる。
親孝行って言葉が大嫌い。
姉妹差別せず平等に接したうえ、都合良くすり寄られてまで、親孝行はしなくていい。安定した愛情を与えられ、姉妹差別していないご両親であれば、親孝行したくなるはず。
だが、世の中には不仲で離婚できず、経済的に依存しながら悪口を言い、解決しないのにストレス発散として子へ愚痴をぶちまけ、子より「自分が自分が自分が」と親の情緒安定の道具とみなす。
子へ依存しすがりつき、拒否すると恩着せがましく泣きわめくのがオチだ。無視していい。お葬式?何それって感じ。
毒親を捨てたら、日頃の行いが良ければ、自分に返ってくる
毒親を見捨て自分の人生を取り戻すため、やりたいように過ごせるようになって、スタートラインに立てるのでは。
幼少期の家での扱いは、大人になってからもそのまま継続してしまう。暴言や嫌味を言われたら、不愉快な発言をして軽く扱う人に攻撃されやすくなるのだ。
マウントを取り人前で攻撃するような人は、問題がある育ちをしており、自分に自信が無く弱い。
ガツンと言い返してみよう。きっぱり論破してから完全無視すると、ビビッて挙動不審になる傾向がある。
弱い人ほど噛みつき吠えるのだ。
コバエがいたら、いちいち本気で追い払ったりしないはず。受け流して相手にせず、急所はねらいうちしてみてはいかが。
性格がいい方に出会えたら、誠実な対応を取ろう。相手によって態度をコロコロ変えるのは、よろしくないかもしれないが、関わった方がいい人とそうでないのは見分けよう。
区別と差別は違う。
自分が困ったら誰かに差し伸べてもらえるよう、日頃から感謝は言葉に出しつつ、誠実に行きたい。小さなことに感謝して、満ち足りた暮らしをしていきたいものだ。
家を借りる時、保証人不要物件か毒親以外に保証人になってもらおう
賃貸契約にて、保証人を要する物件が散見する。日本特有の村社会が未だに構成されており、うんざりだ。
一方で、外国人が増え、保証人不要物件は確実に多くなり、借りやすくなった。高齢化が進み、親が他界し一人っ子で兄弟はおらず、親戚に頼みたくない方は大勢おられる。
戸建やマンションを購入されたなら問題ない。
賃貸で保証人を誰にも頼みたくない方の場合、保証人不要物件をあたり、自由を満喫したい。親戚で保証人になってくれそうな人がいたら、頼んでみてもいい。ただし、毒親との亀裂を知らず、新住所をばらされ、自分の首を絞めるかもしれないので、要注意である。
弱っていたら助けてもらえるように
強がって生きていても、病気をしたら、弱ってしまう。健康な人にはわからないと思うが、仲良し家族のありがたさは、身に染みて安らぎ助かる。
不仲な家族に心をぶち壊され、傷つけられたあなたは、病気で弱ったら誰かに頼りたくなるだろう。
残念ながら、親になっちゃいけない人が親なのだから、家族愛は諦め近くに友達をつくったほうが心が和む。
友達にどっぷりと頼らず、一人でやり遂げながら、一方で安心感がある友達がいてくれたら心強い。
人は一人だもの。
誰かに依存して取りすがらず、病気になり闘病中も基本は自分の足で立つのだ。「お大事にね」のような声かけは、エネルギーチャージされほっこりする。
web友達もアリである。共通の趣味があれば、そのwebから発展するかもしれない。リアル友達を大事にしつつ、開拓していきたい。